——もしかしたら、今回のアルバムがラスト・アルバムになるかもしれませんが、慶一さんが想像していたラスト・アルバムと比べて違いってありますか?


全然違うね。作り終わって一回聴いてみると、〈まだまだ行けるじゃん〉って感じだよ。それでいいんだ。ラスト・アルバムといったら何だろう。ビートルズだったら『アビーロード』、ストーンズはまだやってるし……。


——ザ・バンドだと?


『アイランド』だ。『アイランド』にはしたくないって、ずっと考えてたよ。『アイランド』は良いアルバムだけど、なんか最後感が漂っている。どっかバラバラなんだよな。これ(新作)を聴いて判断してもらうしかないんだけれど、作っている当の本人達は非常に結束固く、いいものが生まれたと思ってるから。『アイランド』にしたくない、したくないって呪文のように唱えてた(笑)。


——『アイランド』になりそうな瞬間もありました?


作っている時は揺れ動くからね。1曲録音するだけでアルバムの雰囲気が変わるし。そこで「何かしよう」ってみんなで考えないと、知恵を絞らないと『アイランド』になっちゃう。みんなが〈自分の分終わったから帰っちゃうよ〉というようなことになったら、『アイランド』になっちゃうんだ。何人かはロビーでくだらない話をしていたりね。家で作業するから先に帰るってのは、どんどんやってもらう。私も歌詞作ってるからちょっと遅れるとかさ。友達同士の助け合いだよ。だけど私はいつも最後まで居残るんだ。スタジオでデータのバックアップが終わるまでね。エンジニアに家まで送ってもらうためだけど。でも、その車の中で今日はこうだった、で、どうしようとか、何か、もめ事あったかい?とか会話しながらね。それも重要なんだ。


——今回のアルバムは、みんなで一緒に戦ってるみたいな感じでしたね。


俺はこのバンドは切磋琢磨の場だと思っていたからね。それぞれがデモを持ってきて、競い合って、(アルバムに)入れる曲を決める。人って歳のとり方がそれぞれ違うからさ、若い時の一体感とは違うと思うんだよ。切磋琢磨しながらプレイグランドという砂場で遊ぶ、要するに幼稚園児のようなんだ。悪い意味ではないよ。幼稚園児には引率者が必要だ。個々ではあらゆる場所で作品を作れても、このバンドには、さあそろそろお弁当にしましょうかって人がいないとダメなんだ。で、引率者がいなくなることになった。さらには35年も幼稚園児をやってると知恵熱も何度もでるし、一体感も変わる。でも、ある距離ができてきても、バンドとしてのサウンドを作ることはなし得たと思う、この作品までは。


——そうですね。これだけの個性が集まりながらバンド感が失われることはなかったですね。変な質問ですけど、35年のキャリアを振り返ってみて、これまでいろんなことをやってきたムーンライダーズがなし得なかったことがあるとしたら、それは何でしょう?


ビッグ・ヒットだね(笑)。それがあったら、バンドの歴史も違っただろうな。もっと早く無くなっていたかもしれない。でも、なし得なかったことがあったからこそ、なし得たことがよりたくさんあった。それは実にリンクしてるんだよ。表と裏ですよ。


——慶一さんの今の心境としては、一段落ついた感じですか?


最後のレコーディングの日が終わった後、俺一人だったんだよ。最後に「主なくとも 梅は咲く ならば(もはや何者でもない)」の自分の歌を入れたんだ。それが終わった時は、〈終わったか……〉って、じーん、とした瞬間はあったけど、その後にミックスやら何やらいろいろあるから。一抹の寂しさとか感じるヒマもなくここまできてる。


——「夏は終わった」(「くれない埠頭」)みたいな感慨はないわけですね。


って感じはない。ライヴの準備もあったし、どこでどう気がつくのかわからない。喪失感があるのか、ないのか。まあ、あるでしょう、そりゃ35年やってりゃ誰しもね。35年、もしくは40年働いた会社を定年になる人は、俺の友人でいっぱいいるけども、それぞれ喪失感はあるでしょう。でも、生きていくから、皆さん。なんらかの形で。違う職業を探してる人もいるし、違う職業に就けた人もいるし。音楽を作るということは特別な職業ではない。みんな同じだよ。


——ちなみに、今回の休止に震災がどこかで影響していますか? 日本の空気も大きく変わったし、みんな人生についてとか、いろいろ考え直すこともあったかと思うのですが。


ないことはないと思う。地震のあと、『火の玉ボーイ』コンサートを延期したじゃない? それを延期にする、しない、でも個人差があった。地震で「これはできない」って人もいたけど、私はやりたいんで、〈小さな灯の玉〉ってのをやったけどね。


*「小さな灯の玉フリーギグ」:2011年4月2日に急遽行われた無料ライヴ。ムーンライダーズのメンバーに加え、青山陽一、あがた森魚、上野洋子、久住昌之らが参加した。


——休止宣言が発表されたのが、震災が起こったのと同じ11日だったので、もしかしたら、どこか意識されたのかと思いまして。


まあ、たまたま満月の日だったから。テレヴィジョンみたいに満月の日に発表しようと。


——「モビー・グレイプのように満月の夜に解散したかった」なんて言って、モビー・グレイプを真似したトム・ヴァーレイン(テレヴィジョン)。


……の真似したムーンライダーズ(笑)。


——月繋がりですね(笑)。でも、サイケ(モビー・グレイプ)とパンク(テレヴィジョン)はムーンライダーズのメンバーが体験してきた大きなムーヴメントだし、バンドにも、とりわけ慶一さんには影響を与えていますもんね。


そうそう。すごい繋がりだよね。私はモビー・グレイプもテレヴィジョンも大好きだから。


——サイケ、パンク、ニュー・ウェイヴ、オルタナ、ポスト・ロック……最近ではひと巡りして、またポスト・パンク/ニュー・ウェイヴ的な音が出てきていますが、ムーンライダーズのメンバーはロックの歴史の激動期を体験して、吸収して、吐き出してきてきた。これてって、すごいことですよね。休止後は、みなさんソロ活動が中心になっていくのでしょうか。


どうなんだろう? さっきも言ったけど、曲名に「何者でもない」ってあるじゃん。休止宣言をしている以上、何者でもなくなったわけだよ。〈元〉ムーンライダーズではなく、不思議な宙ぶらりんな状況。これをちょっと楽しみたいっていうのもあるな。さっきも言った現役ってのをどうするのか。


——では最後に、活動休止に寄せて、ファンにメッセージをお願いできますか?


それはほんとに「ありがとう」だよね。でも、私の「ありがとう」は心がこもってないって(高橋)幸宏は言うけど(笑)、「ありがとうございます」ですよ。ならびに我々の音楽を聴いて文章にしてくれた人とか、雑談してくれた人、お金を使わせてくれたレコード会社の方々(笑)、すべてに感謝します。そういった方々がいなければ35年続かなかったかもしれないし。それはバンドだけの問題ではなくて、我々の音楽を聴いた人たちすべてが関わっている。その方々全員に感謝、そして後半は、ほぼ一人で、実働17年間一緒にやってきたスタッフに「ありがとう」だね。関わったその他のスタッフ、ライヴのスタッフ、映像のスタッフ、様々な分野の方々、「ありがとう」です。すごく以前のスタッフにも、ありがとうと言っておく。あまり思い出したくないがね。その想いが……〈想い〉という言葉は嫌だな、その感情の表現としての「Last Serenade」だと思う。あれは、モロにその気持ちが出てると思う。鈴木博文の歌詞、岡田君の曲にね。だから心を込めて歌ったよ。2011年12月31日で蒸気のように消えていくヴァージョンだけどね。あれは(気持ちを)「もう、出しちゃおうよ」ということで。


——曲のなかで「ありがとう」って言ってますよね。こちらこそ、ありがとうございます! そして、みなさんがRebornされるのを楽しみにしています。最後の最後の質問なんですが、慶一さんにとってムーンライダーズとはどういうバンドですか?


もっとも信頼感のある人達と、もっとも愛情を注いだものだね。


——わあ、それ以上の言葉はないですね。


ムーンライダーズ好きって、いろいろいると思うよ。ファンの人たちとかいろいろ。でも俺が自信を持って言えるのは、俺ほどムーンライダーズが好きな人はいないってことだね。最後に締めの言葉を言わせて下さい(笑)。「火の玉ボーイ」が序文で「Ciao!」が後書きだね。これは事実だ。その間にたくさんの真実がある。そのぶ厚い本を、みなさんの心のどこかに置いていけたら。